機械式時計、とりわけ複雑な機構と向き合うわけですから、ウォッチメイキングとはいわば数学の世界。いかにしてシンプルに複雑機構をつくるか、あるいは美しい造形をどのようなプロポーションで生み出すのか、ミリ単位以下の緻密な計算と調整、数学的な叡智を必要とします。そのうえクリエイションとして成功させるには、その裏で途方もない努力が求められるものです。1992年、まごうことなき天才時計師フランク ミュラーと、ケース工房を率いる起業家の自分が共同創設者としてブランドを始動したとき、私たちは共通の意識を抱えていました。

ふたりともハードワークと挑戦を愛すること、そして何より、私たちがつくっているものが「正しい」という直感です。
ブランドとして立ち上がってすぐ、成功に対する直感を確信に変えてくれたのは、イタリアと日本という２つの国の存在でした。イタリアの愛好家たちはトノウ カーベックスにみる官能的なフォルムを愛し、一方の日本の愛好家たちは、文字盤の美しさとコンプリケーションに強い関心を示してくれました。独自の文化を育んできた２つの国が、フランク ミュラーを世界へ羽ばたかせる契機となったのです。

愛好家たちの声を聞く。それは私たちがなすべきことであり、時計づくりの思いがけないインスピレーションが生まれる瞬間でもあります。たとえば、フランクと一緒にロンドンの銀行家と歓談したときのこと。「世界各地の金融市場の時刻、なかでもロンドン、ニューヨーク、ニューデリーの時間を瞬時に読み取れるフランク ミュラーの腕時計が欲しい」というのです。その一言が、1996年、ひとつの自動巻きムーブメントで、世界３都市の異なる時刻表示を可能にする超複雑なマスターバンカーを登場させました。時差といえば、通常は１時間単位と考えるかもしれませんが、インドのように30分単位の国もあります。まさにニューデリーを含めるメカニズムの実現には、想像以上に困難を極めたことを思い出します。