Challenge For
Multi Axis
テンプの回転運動に誤差を生じさせる片重りの平均化。これこそ、トゥールビヨンが目指した高精度への挑戦だ。しかし、あらゆる姿勢を取る腕時計にとって、“1軸式”では、三次元空間に十分対応しているとはいえない。そこで軸を増やすことで平均化の精度をより高めようとしたのだ。
フランク ミュラーは、フライング トゥールビヨンの安定供給に安住せず、さらなる進化を試みる。ここで、トゥールビヨン誕生時に今一度遡ってみよう。衣服のポケット内にしまわれ、一日中縦方向に置かれた懐中時計がもたらす偏りを解消するために生まれたのが、トゥールビヨンだ。この機構の誕生時点では、いずれ来たる腕時計時代の到来が考慮されていないのは当然だろう。
他方で今、腕時計を着ける私たちは、上下左右と自在に腕を振りながら、日常生活を送っている。つまり、腕時計の姿勢も刻々と変化するわけだ。結果、それぞれの姿勢でテンプの振り角が大きく変わり、誤差が生まれやすい状況にある。
この状況でトゥールビヨンが本来もつ設計思想に基づくならば、キャリッジが360度自在に回転することで、テンプの振り角の変化をより高い精度で平均化できるよう設計されてしかるべきだろう。
トゥールビヨン誕生の背景に思いを寄せつつも進化を忘れないフランク ミュラーは、新たな回転軸を用意して、キャリッジを多方向に回転させる多軸式トゥールビヨンを開発する道を選ぶ。
2003年に発表した「トゥールビヨン レボリューション2」では、2軸式を実現。水平方向に1分間で1回転するキャリッジを、垂直方向には8分で1回転させる2軸で設計。その結果、平均値の精度を高めることとなった。
翌2004年には、世界初となる立体トゥールビヨンとして3軸式の「トゥールビヨン レボリューション3」を誕生させた。このムーブメントには、3つの回転軸のキャリッジを搭載。それぞれ1時間、8分、1分に1回転する3軸からなる構造とし、より自在にさまざまな姿勢を取ることがかなった。しかも、この機構を備えながら約10日間パワーリザーブを実現し、必要なトルクを十分に備えた点も驚異的である。
文字にするとあっけなく思えるかもしれないが、事実、トゥールビヨンを多軸化させるには多くの困難があった。1軸式でさえ重量のあるキャリッジひとつを回転させるだけでも相当な苦労があったのだから、軸が増えるほどに難しさが増すのは想像にかたくない。
また、工作機器の性能が向上したことで2軸目・3軸目のキャリッジを回転させるラック状の固定歯車の成形が可能となり、多軸化に大きく寄与した点も注目に値する。加えて、有能なスタッフの果たす役割も大きなものだった。
「レボリューション3」では、3軸目を追加したことで重量が増加し、より困難な状況に。ギアが増え、パーツがうまく連動しないという問題が発生した。
「最も大きな困難でしたが、円錐状のピニオンを自ら削り出して作成しました。これにより歯車がスリップしなくなり、垂直方向と水平方向のギアの噛み合わせが改善されました。自動車のトランスミッションを想像していただくとわかりやすいかもしれません」と、当時開発に携わった担当者が語るが、こうした試行錯誤を象徴するエピソードは枚挙に暇がない。
他方で、これらの設計がうまくいったとしても、組み立ての際に生ずる困難は想像を絶するものがある。仮組みから製品としての組み上げに至るまで、アトリエの職人たちによる高度な技術が必要だ。軸に対して正しく水平に回転させるための作業は、いかなるトゥールビヨンでも難しいものだが、軸が複数あれば、なおのことだ。これを実現できるのは、内製化を進めるなかで人員を拡充してきたフランク ミュラーだからこそ、という側面も多分にある。
「これがラウンド型のケースだったら、もう少し話は簡単だったはず」と先の担当者が語るのも無理はないだろう。
ブランドのアイデンティティとする樽型のトノウ カーベックスケースは、美感に優れた独自形状が開発の難所でもあった。多軸式トゥールビヨンは基本的に多くのスペースを必要とするが、12時―6時方向に長く、3時―9時方向に短いケース形状ゆえ設計上の制約が大きい。しかし、ここに創意工夫を凝らすことで審美性にも磨きをかけた。
文字盤に対して、上下、前後、左右からなる3つの軸で3つのキャリッジを駆動。それらが正確に動作するためには技術の高い職人の調整が不可欠で、それができる人数もわずかだ。
「横から見ると風防側に向かって凸状にカーブしており、厚みが一定でないのも難しい点。そのぶん、裏蓋側に少し出っ張りを設けて空間を確保することで嵩のある多軸トゥールビヨンキャリッジを収めました。少し“洒落っ気”を効かせたように見えるかもしれませんが(笑)」と、担当者がその解決策を語る。
「レボリューション2」「レボリューション3」ともに立体的なキャリッジを擁しながら、それぞれの5時位置、7時位置にレトログラード式の8分計と60秒計を備え、美的な完成度も高めている点もまた、ブランドの卓越した美意識を体現している。
のちに他のブランドも参入した多軸式トゥールビヨンだが、これらの革新的なモデルの誕生は、フランク ミュラーがトゥールビヨンの新境地を開いた先駆者であることを証明しているのだ。