The
Founder of
the Brand
Q.フランク ミュラーが
最も大切にしていることは?
これは、私たちがクリエイションにおいて
最も大切にしている言葉です。
お客様が夢を見ていただけるような時計をつくるために、
私たちは夢を創造しなければならない。
いつもそう考えています。
その意味で、私たちのつくるトゥールビヨンは
ウォッチランドにいるすべての職人の技術と創造力、
そして情熱の結実であるといえるでしょう。
まだ見ぬ新たな時計の姿を夢見て、かたちにする作業を繰り返す。こうして夢の創造主であるフランク ミュラーは、長年にわたって世界中の時計愛好家たちを喜ばせてきた。
「お客様が夢を見ていただけるような時計を作りたい」と語る創業者ヴァルタン シルマケスの言葉を裏付けるのは、2000年代半ばより始まるマニュファクチュール化だろう。以降、黎明期より時計師フランク・ミュラーとタッグを組んで、ブランドを率いてきたヴァルタン シルマケスの言葉をひもといていく。
「機械式時計は、たったひとつでも部品に欠陥があると正確に動きません。ウォッチメイキングにおいての理想は、すべてのパーツを自社で製造すること。そして、さまざまな工程を担うすべての職人をひとつ屋根の下に置くことです」
ジュネーヴ郊外のジャントゥに構える広大な敷地の製造拠点を「ウォッチランド」と呼んでいる。かつて、フランク ミュラー本人が「誰もが訪れることができ、時計の世界に触れられる場所。そして、ヨーロッパ最高峰、モンブランが望めるレマン湖のほとりで、職人たちが快適に作業できるアトリエをつくりたかった」と語ったとおりの、ウォッチメイキングにおける理想郷だ。
「数学的である時計のムーブメント製造には正確さが必要不可欠。その意味でもパーツ一点の精度に至るまで責任をもつ必要があります。内製することができれば、ウォッチランド内で速やかな供給が可能ですし、フィードバックに対するレスポンスも迅速に行うことができるのです。例えば、内製された1483個の部品をもつ時計『エテルニタス メガ4』が誕生した背景は、単に完璧主義でありたいからではなく、すべて自社で作る必要があったからなのです」
このように夢、つまり、まだ見ぬ時計の創造に対して極めて真摯であるがゆえに、時計製造のすべてに責任がもてるよう内製化を進めているわけだ。もちろん、ここに至るまでには多くの困難もあった。夢という美しい言葉の裏側には、絶え間ない挑戦や努力の跡が垣間見える。
「トゥールビヨンという複雑機構は精度の象徴。その誕生が時計界に大きな影響を与えたことは確かです」
さまざまなテクノロジーが日進月歩で先鋭化されていくなか、“マスター オブ コンプリケーション”は、トゥールビヨンを最も重要視している。 重力によって受ける姿勢差の解消に努めたトゥールビヨンという機構は、先端的な技術の進化とも密接であり、クラシックとハイテクノロジーの融合という側面も少なからずある。こうした歩みについては、以下の項で触れていくが、いずれにしても、トゥールビヨンを自社で製造できるということは、ウォッチメイキングにおいて高度な技術をもつ証しであることにほかならない。 「トゥールビヨンにおける挑戦、あるいは夢や革新とは、その他の複雑機構と結合させることです」
初の自社製ムーブメントには、フライングトゥールビヨンを選び、その後も「世界最大」「世界最速」「世界最小」といった冠のつく数々の名機を生み出しており、コンプリケーションの拡大に注力していることは明らかだ。
「そして今、ダイアル中央にトゥールビヨンを搭載したスケルトンウォッチを発表しています。これは、トゥールビヨンの概念を覆すものだと考えます」
このようなモデルは一例にすぎないが、斬新なコンプリケーションたちの登場にはファンならずとも心が躍る。
「時の概念を創造することが私たちの究極の目的なのです」
正確に作動するトゥールビヨンウォッチは、ほかにはない感動を与えてくれる。壮大な天体の動きを刻むテンプの鼓動を、そして重力に抗うべくして生まれたキャリッジの回転を、腕元に閉じ込めたロマン溢れる存在だからだ。
「夢から夢へ――。ウォッチランドにいるすべての職人の技術と想像力、そして情熱の結実が、私たちが手がけるトゥールビヨンなのです」
創業者
1956年、トルコ・イスタンブール生まれのアルメニア系スイス人。ケース職人としての道を進んだ彼が、若き時計師フランク ミュラーと意気投合し、1991年に共同でテクノウォッチ社を創業。現在に至るウォッチランド発展の立役者。