Challenge For
Creativity
常識の枠を超えて、
豊かな想像力が宙を舞う。
数ある複雑機構のなかでも、最高峰に位置づけられるのがトゥールビヨンである。そして、フランク ミュラーが"マスター オブ コンプリケーション"と讃えられるのは自社製造を進める中で、創造性の高い数多のトゥールビヨンを生み出してきたからだ。ここでは、その原点ともいえるブランドの代名詞、フライングトゥールビヨン誕生の裏側に迫る。
「フランク ミュラーといえば、フライング トゥールビヨンです」と、ウォッチランドの開発者たちが異口同音に胸を張る。フランク ミュラーこそが、フライング トゥールビヨンを一般化させたオリジンであるという自負ゆえに。
懐中時計時代の1801年、伝説的なスイスの時計職人が、本体が縦姿勢のときにテンワの回転が偏り、安定性を欠く片重りの問題を解消するために発明したトゥールビヨン。テンプなどの脱進機を収めたキャリッジを60秒で一周させるこの機構は、部品の多さや調整の難しさから、実際に高精度を出せる時計を作り出すこと自体に高度な技術を要する。
誕生当時のトゥールビヨンは、テンプの収まるキャリッジの回転軸をブリッジと呼ばれるパーツで風防側から地板方向に挟むように支えることで、安定した回転を保つ設計に。一方のフライング トゥールビヨンは、キャリッジの回転軸を支えていたブリッジを取り除き、地板側だけを支えることでキャリッジの回転を固定させる設計となっている。
本来、精度向上のために生まれたトゥールビヨンだが、長い時計史のなかで、キャリッジが動く様を鑑賞する審美的な意味合いも帯びており、それを視覚的に妨げるブリッジを取り除こうというフライング トゥールビヨンへの試みは、20世紀初頭に数名の時計師によりなされていた。が、重量のあるキャリッジを地板側だけで支えるのは技術的にも難度が高く、フライング式が一般的に普及するには、20世紀末にフランク ミュラーが登場するまで長い時間を要した。
その前夜として、フランク ミュラーは、1986年に「フリー オシレーション トゥールビヨン」を発表。ブリッジ式ながらも自由振動という独自の概念で時計界に感嘆を与え、その後もこの機構にミニッツリピーターを組み合わせるなど独自の進化を遂げていく。 そして、2002年。ついにフライング トゥールビヨンを搭載した「レボリューション1」を発表した。プッシャーを押すと風防側にトゥールビヨンのキャリッジが迫り出していく独創的な仕掛けで、フライング式が達成したい美観の向上という目的に対して、よりエンターテインメント性をもって実用化させたコンプリケーションウォッチだ。
ここにたどり着くには、ウォッチランド初となる自社製ムーブメント「FM2001-2」の誕生が不可欠であった。2001年にウォッチランド内にふたつのアトリエ棟が完成したことも密接に関係する。フライング式の最大の懸念点であったのが、回転するキャリッジを支えるのが地板側のみとなり、回転軸が重力によってブレてしまうことだ。これをこのキャリバーでは、大きくふたつの方法で解消している。
まずは、キャリッジを支える軸受にセラミック製ボールベアリングを採用したこと。従来のスティール製とは異なり、完全な球体に近い形状と滑らかな表面を実現したことで摩擦を減少させ、姿勢差でのキャリッジのブレや傾きを最小限にして安定性を高めた。
Cal.2001-2
時計界初となる自社製フライング式ムーブメント
キャリッジの滑らかな回転に大きく貢献した、軸受パーツ(右)と微小なセラミック製ボールベアリング(左)。従来はスティール製だったそうで、大きな改善が想像できる。
外周に歯切りが施されたキャリッジのベースと、そこに動力を伝える5番ピニオン。中央のルビーを軸受としてわずかに見える小さなピニオンが5番となる画期的な輪列といえる。
もうひとつは、輪列の取り回しの工夫である。従来式によく見られるのが、4番車を兼ねるキャリッジの下部にピニオンを設置して、3番車から直接駆動させる方式だ。これまでは重量のあるキャリッジを地板側1点で支えるため、不安定さが否めなかった。ところが、このフライング式キャリバーにおいては、キャリッジの外側に歯切りが施されており、ゼンマイからの動力を2番車から迂回して、3番車→4番車→5番ピニオンと繋いで、歯の刻まれたキャリッジに伝達しているのだ。
これにより従来式よりも少ない動力でキャリッジを回転させることができると同時に、大径のピニオンを採用することにより、姿勢によるキャリッジの傾きに対する許容を高めている。 「FM2001-2」の完成により、安定的なフライング トゥールビヨンの内製を実現、のちに続く数々のコンプリケーションにとっても不可欠な存在となった。フランク ミュラーがトゥールビヨンを手がけて20年余り。ここに至るまでに実に多くの困難を乗り越え、独自の技術を進化させてきたことがわかる。
「誰もやらないことをやる。それがフランク ミュラーです」。これはウォッチランドのプロトタイピストが述べた信念だが、実現自体が困難だったフライング トゥールビヨンを高水準で完成させたチャレンジ精神こそ、フランク ミュラーが誇るべき創造性の源泉なのだ。