ジュネーブの市街地からほど近い村ジャントゥ。街の喧騒から離れた静かな丘陵地からは、白き名峰モンブランと雄大な連山、そしてレマン湖が美しいコントラストを見せる。
哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、ジュネーブの時計職人の家系に生まれた。啓蒙思想家の素養を育んだのは、時計職人として働く父の崇高な姿であり、野山の散策を愛し、歩く哲学者とも呼ばれたルソーもまたこの風景を楽しんだのかもしれない。そしてこの地に、フランク ミュラーが自らの理想の時計作りを追求するため建造したのがウォッチランドである。
フランク ミュラーは、1986年に現在のウォッチランドの近くに住居を兼ねた最初のアトリエを構えた。やがて1992年の会社設立を期に、本拠地となる社屋を検討。心惹かれたのが近隣にあったシャトー、“レ・ザマンドリエ”だった。
それは著名な建築家エドモン・ファティオによって1905年に建造されたネオゴシック様式の城館で、かつて日本の新渡戸稲造が国際連盟事務次長時代に公館としていた由緒ある建物だ。その歴史的価値を損なうことのないよう、当時の外観を踏襲しつつ、本社機能と時計工房を集約し、改築した。
こうした教会装飾の延長でもある彫金や、七宝絵付けといった芸術性の高い技法はさらに磨きがかけられ、高級品に特化したジュネーブ時計の特徴になった。同じスイスでも農閑期の労働力を中心に、比較的シンプルな時計を量産したジュラ渓谷一帯の時計製造との違いでもある。
18世紀になると、技術を極めたキャビノチェと呼ばれる匠の時計師は社会的地位も向上し、分業体制の確立とともにスイス時計製造は一大産業として発展を遂げた。
エントランスには「1999」と彫られた礎石がはめ込まれている。
ここからその針は進み始めた。
では、そろそろ時を巡る物語を始めるとしよう。
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