科学と芸術、そして技術の交差点
ジュネーブという地名の語源は、ケルト語で河口を意味する。
スイスの最西端フランスとの国境に面し、まさにローヌ川が流れ出る美しいレマン湖を臨む。チューリッヒに次いで国内でも2番目に人口が多く、金融センターや多くの国際機関の本部があることから、経済や国際情勢における世界を動かす最重要都市に位置づけられる。そしてこの街の持つもうひとつの顔が、スイス時計発祥の中心であるということだ。
石畳や歴史的な建造物が多く残る旧市街の街並みには、スイス時計の名門ブランドが軒を連ね、いまも変わらず伝統の時を刻み続ける。ではなぜこの地が時計製造と結びついたのか。歴史は中世に遡る。
カトリック司教座都市として栄えたジュネーブだが、16世紀の宗教改革によってカルヴァン派が改革の中心地に据えた。もともと教会の装飾品を作る金銀細工の技術が発展し、多くの専門職人がいたが、プロテスタントに転じると、カルヴァン派の教義に従って豪奢な装飾が禁じられてしまう。そこで金銀細工師は、繊細かつ高い技術を生かすため、時計を製造するようになった。このとき技術をもたらしたのが、すでに時計製造の技術が確立していたフランスからのプロテスタント難民である。
時計製造には、開発設計からパーツ製造、組立てなど数多くの工程と長い時間を要する。ウォッチランドを作ることで、パーツの品質管理とともに、外部発注の納品を待つ時間的なロスをなくし、多彩なスキルや発想を持った技術者を結集した自社一貫製造のマニュファクチュール体制を目指したのだ。
当初、本館の両翼に2棟の工房を設ける構想から始まり、さらに正面の新棟や、隣接する土地の取得などウォッチランドはいまも拡張と進化を続けている。まるでフランク ミュラーの時計作りへの夢と情熱のように。
旧市街の丘の頂上にあるサン ピエール大聖堂の塔に上ると、眼下に街の眺望が広がる。そしてその先、レマン湖の対岸遠くにひっそりと佇むのが、ウォッチランドというもうひとつの時計の王国である。
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